ご縁があって最近、”勅使河原真衣さん”の本を手にとり、このブログを書いています。
勅使河原さんはビジネスや教育社会学の視点から、さまざまなテーマを扱われている同年代の女性です。
数ある著書の中より、感じたことをご紹介させてください。
「能力主義社会」――
それは、「個人が努力し、社会に選ばれることが生きる意味である」という価値観を意味します。
努力して、社会に必要とされる人間になること。
私自身、当たり前のようにそれが”人生の命題”だと思っていました。
誰もが走らなければならないレースの中にいる。
そう信じて生きてきたところがあります。
そして気づけば、まだ幼いわが子にも、同じような目線を向けていました。
子どもはただ可愛いだけの存在ではなく、
いずれは自立し、社会を生き抜いていかなくてはならない。
親はその責任を背負っていると思うからです。
「どうしてこんなことができないんだろう」
「もうあの子はこんなことができるんだ」
そんな風にして、同年代の子どもと比較してみたことはないでしょうか。
また、
「〇〇力の育て方」といったSNS広告に手を止めては
今のうちから備えなければ、と焦る気持ちにかられたことはないでしょうか。
「ありのままでは生きていけない」
「できなくて困るのは君だよ」
直接的に、我が子にもそんなふうに
言葉をかけてしまったこともありました。
けれど、肝心の本人はというと──
「そんなに成長って必要?」というようにどこ吹く風で、日々を楽しそうに過ごしています。
無理に頑張ろうとしない。
今やりたくないことは、やらない。
おしりを叩いてやらせることもできるかもしれない。
でも、「思うようには動かない子供」を前にして感じるのは、
それが“意志”であり、“生きる力”のようにも思えてくるから、見ていて不思議です。
子供をコントロールできないことは、
一見、”親として無力” なようにも思えます。
でも、そうではなくて。
彼(女)らは彼(女)らなりに、
自分の感覚で世界を捉え、選び、拒む力を持っている。
それは、自分のペースを守り、生きていく上でとても大事な力だと感じるのです。
小学校に上がると、
学校という小さな社会に飛び込んでいきます。
そこから先は、否応なく序列をつけられるということが増えていきます。
本人たちには、どこへ行っても能力では測れない
自他を尊重し、対話をし、
敬意を持ってつながる体験を重ねていってほしいと切に願います。
他者と共創しながら、自分なりの“生きる力”を育んでいってほしい。
個人の努力は決して悪いことではないけれど、
できないことに苦しめられ、自分や他人を責めるようではあってはならない。
今、子供達に向ける眼差しは、本当に子供のためになっているのか。
そしてこのような際限なき「望ましさ」を子供達に願い続けた先に
ある社会とはどんな形をしているんでしょうか。
私たちが生きてきた社会の尺度――
個人に優劣をつけて
社会に選ばれる能力
その尺度に必死に合わせることで、失ってきたものも、きっと少なくなかったはずです。
幼い子供たちは選ぶ力を持っています。
「これは自分に必要か」「やりたいか」を感じ取る力。
それは、その子らしく生きるために備わった力なんではないかと思います。
親である私たちが、わが子の生きる力を信じてあげる。ということは、
生きる土台を一緒に作ることに他なりません。
「子供に残したい社会は、どんな社会ですか?」
勅使河原さんの本を読んで思うのは、
私たち大人が疑うべきは、社会のあるべき姿かもしれないということ。
「社会なんか変わらない」と一蹴するのではなくて
ひとりひとりの眼差しが、社会を形成していることと自覚しながら
関心を寄せることが、必要なことなのかもしれないと思いました。
勅使河原さんも、私たちと同じ子育て最中のお母さんでもあり、こうして社会を見つめ続け常に発信されています。
気になった方はぜひお手にとってみてください。
長文になりましたが、お仕事とは関係のない話になりました。
お読みいただきありがとうございます。
たなか

勅使川原真衣さんの主な著書一覧
『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社、2022年)
『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書、2024年)
『職場で傷つく〜リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房、2024年)
『格差の"格"ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性』(朝日新聞出版、2025年)
『学歴社会は誰のため』(PHP新書、2025年)
編著
『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』(東洋館出版社、2024年)